KUMAHO Web Column

共通教育センター

「勉強」しすぎていませんか?!

2021.02.26

「勉強はしたの?」「勉強しなきゃ」……「勉強」という言葉には「しないといけないこと」という何となく義務的な響きがありませんか。私たちは怠け心に打ち克って「勉強」を自分に課さねばならない時もあるでしょう。しかし、いつもそうだとやりきれません。

 大学教育は専門教育と教養教育とに大別されます。専門教育については皆さんイメージしやすいでしょう。学部学科ごとに特色があり、将来の職業にも直結しています。では、教養教育とは何でしょうか?それは例えば、専門教育というメインディッシュへの添え物にすぎないのでしょうか?「カレーライス」に「福神漬け」が添えられ、「天丼」に「お吸い物」がついてくるように。

 そのようなイメージは全くの誤りであると断言しなければなりません‼
教養教育は専門教育の単なる付属品ではなく、おまけでもない。それは「オムライス」や「牛丼」のように、「カレーライス」や「天丼」に劣らない魅力あふれる別のメインディッシュなのです。もちろん専門教育との関連性は持っていますが。

 では教養教育の意義と魅力とは何でしょうか。教養教育の故郷、古代ギリシアを訪ねてみましょう。「幾何学に王道なし」で有名なユークリッドには次のような逸話があります。
 〝ユークリッドのもとで或る男が幾何学を学び始め、最初の定理を学んだとき尋ねて言った、「ところで、こういったことを学んだ私にはどんな善いことがあるでしょうか?」。そこでユークリッドは召使を呼んで言った、「この男に3オボロス(お金)を与えよ。彼は学んだことから利益を得なければならないのだから」〟

 このお話は幾何学の学習が二人にとって全く違った意味を持っていたことを示しています。ユークリッドにとって幾何学はそれを学び知ること自体が価値を有し、喜びを与えていたのでした。

 私たちは美しい景色や草花を見ると喜びを感じます。たとえ他に何の利益がなくとも。それと同様に、教養科目を学び知ることは心の目で事物を捉えることに他ならず、私たちに深い喜びを与えてくれます。この学習はさせられる「勉強」の対極にあり、人間の知的本性を開花させ、内的な自由の獲得を目指しています。世界の素晴らしさ・美しさを精神の眼で観ること。大学の教養教育はその出発点に過ぎず、生涯教育へと道は続いていくのです。

 イギリスの哲学者・数学者のバートランド・ラッセルは少年の日、心晴れず苦しい日々でした。しかし、数学をもう少し勉強してから死のうと自殺を思いとどまったようです。ラッセルは後に偉大な業績をあげ、ノーベル賞を受賞しました。学問の放つ不思議な輝きが一人の少年を救ったのでした。

共通教育センター 教授 東谷 孝一

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